「手の切れるような製品をつくる」 ~ 仕事における「美」の定義とは・・・?

 

 事務所では、毎朝、稲盛和夫著の『働き方』を用いて、”仕事観”の共有(正しくは”仕事観”に基づく「問い」の共有)に取り組んでいます。

 

『働き方』の中で、「手の切れるような製品」をつくれ(P144~)」というタイトルの文章があります。

 

『「手の切れるような製品」とは、真新しい紙幣の手触りや質感のように、見た目にも美しく、非の打ちどころがない、まさに価値ある製品をたとえた、私流の表現です。(中略)立派な特性を備えているものは、見た目にも美しいはずです。外見とは、「一番外側にある中身」のことなのです。』とあります。

 

 

「手の切れるような製品」という言葉は、盛和塾では、塾生のメジャーなキーワードのひとつになっていますね(^_^)/。

 

 

事務所では、文中における、「美」の定義を、もっと詳しく考えてみよう、と考えてみました。

 

 「美」の定義は、ウィキペディアなどで調べれば、読み切れないほどの多くの定義はあるのですが、

 

「仕事」というフィールドに関して、私たちが考える「美」とは・・・

 

「美しさ」とは、”本物”としてのオーラを 毅然と(凛と)放ち、外見では分からない細部にも魂を込めて、いわば、「神」が宿っている状態のこと。

 

 という表現はどうかな、と。

 

そして、同時に、本来の目的すなわち本質もしっかりと追求されている姿、です。

 

本来の目的を忘れて、強い美の光を放っていても、真の意味で「本物」ではないと・・・

 

美の背景(裏側)には、地味~な継続した努力も必要で、それが「創造」をつくりだす、ということも気づかされました。

 

 

 私たちのメインの仕事は、製品そのものをつくりだすことではありませんが、

まず日常の業務にあたっては、細部にまで慎重に丁寧な仕事をすること、これは、事務所の根本的・基本的方針でもありますが、

直接的な、専門的な知識のないお客さまにも、細部にまでしっかりといい仕事がなされているな、とちゃんと感じてもらえるレベルが絶対条件です。

 

外見や表面的にわからない(バレない・・・?(^_^;))手抜きをする専門家は世にたくさんいるものです。

 

でも、分かる人には分かるのです!

 

 私たちは、そういった 本物を求める人と出会いたいし、

 

そして、その本物を求める方に対して、しっかりと全身全霊で いいお仕事をしたい、と考えています。

 

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