「格差」と「経済成長」と「相対的幸福感」
「経済成長とモラルの関係」というテーマの実証分析についての興味深い記事が新聞にありました。
その研究者は、ベンジャミン・フリードマン教授。
そこには、人々が寛容で道徳的でいるためのバックボーンみたいなのがあって、
それは、経済が成長し、社会が前進している時代だといっています。
経済が成長していると、人々は豊かさや満足度、すなわち「幸福感」(といいかえてもよいでしょうか、)
の基準を、 過去の自分とくらべて感じるそう。
一方、経済が停滞してくると、過去の自分と比べるのではなく、
他人と比較して、幸せかどうかを感じるようになる、ということでした。
”幸せ感”というのは、なにか”成長感”と結びついているのでしょうか?
どこか(自分自身の内面の)停滞感を自覚したくなくて、
他者とくらべることで生まれてくる優越感のようなものを成長感と感じて、
幸せ、と感じるのであれば、ちょっと悲しいことですね。
さらに、新聞記事では、たしかに統計データ上、経済成長をしているはずなのに、
寛容で幸福感を味わえないのは、「経済格差」が生じているからだ、といっていました。
すなわち、経済成長の果実が人々全般に行きわたっていないからだ、と。
そして「格差」は「利己主義」を生むのだと。
物質的な「成熟期」の最中にいる私たちの感覚は、たしかに鈍感になっているのかもしれません。
少し昔なら、食事ひとつとっても、(とくに非日常では)サプライズのある感激がありました。
たとえば、ホテルや旅館で食事、といったら、それはそれは贅沢だったけど、
よっぽどの豪華なホテルでもない限り、懇親会などでたびたび利用していたりすれば、
あんまり幸福感なんかありませんよね~。
むしろ、「あ~、またか。」とうんざりしちゃうほど。。
”贅沢”がごく当たり前の日常と化し、
「ハレ」≒「ケ」 となってまった私たちの生活。
台風や地震などの災害は、もちろん起こってほしくはないのだけれど、
それらに遭遇してしまったときに、あらためて自分たちがいかに幸せなくらしをしていたかに気づく、
というのは、私たちの行き過ぎた欲望の反省だと思います。
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公認会計士・税理士 権田 俊枝
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