人が他者のために創り出す温かな不快のデザインの今後は?

去る今年4月、

「不快のデザイン展(」世の中を良くする不快のデザイン展)に行ってきました。

 

企画展の説明をすると・・・

「世の中を良くする不快のデザイン展」とは、”不快”を効果的に使うことで”世の中を良くするデザイン”になっているコト・モノを、心理効果からひも解く展示イベント です(案内より)

 

不快?って??と思いますよね?

世の中を良くするのならばデザインは人に、社会に美しく 良きものでなくちゃ、と

たいていの人はそう思います。

例えば、地震警報やアラート音は、パニックにならずに即座に行動を促せるように設計されたサウンドになっているとか・・

スピードを出すのが危険な道路では上写真のように、道路へのイメージハンプ(立体路面標示)効果によって運転に支障なく、スピードを抑えるように設計されています。

ほかにも、椅子かテーブルか判別がつかない中途半端なテーブル椅子(!?)を設置し、利用者にクリエイティブに使用してもらうとか、

ペットが丸飲みしないような給餌ボール(犬や猫は生存本能から早食いが原則なため)など・・・

※写真撮影は自由でした

 

でも、日常に埋め込まれた思いやりデザインは、

あえて、不快をつくりだして 安心・安全・快適・健康・・・ な状態を作ってくれているのですね!

これは、目からうろこ・・・というか、

日常に囲まれているモノゴトをもう少し、注意深く見てみようと思うようになりました。

 

たとえば、道路を歩いているだけでも、

ガードレースや防柵、アスファルトの材質や色、形

そこに描かれている白線、信号等・・・

全部、”人”が安全に暮らせるようなデザインが こと細やかに施されているわけですね!

 

人が人(や生物などを含めて)に対する、これぞ温かいまなざし のなかで私たちは生きている!

 

ただ、これからの未来は、安心・安全・快適・健康・・・のために

AI自らが学習して、設計してくれるのだろうな・・・・

と考えると、ちょっと切ない。。。

人が、 人やその他の命あるものやモノ、に対する 思いやりのまなざしは

その感度は次第に弱くなってしまうのでしょうか・・・?