”人”は物語のようにはいかぬが・・・でも自分自身だったら?
事務所通信11&12月号の更新は次々回のブログで予定してします♪
それで、物語的思考を個人ベースのストーリーとして展開してみようか、
と次回号の1&2月号にて構想を企画しているのですが・・・
ふと 大河ドラマの『光る君』を観ていて
藤式部(まひろ)が道長に返答するシーンがあります。
それは、キヨコ中宮のもとに三条天皇に通ってくれないことの解決方法として前例 すなわち物語の力で(一条)天皇を引き寄せる作戦 みたいなの、今回も使えないかナ・・・?という問いかけを道長が藤式部にしたときのこと。
『物語は人の心の移ろいを映しますが、人は物語のようにはいきません・・・・』
(たしか このような表現だったと思います)
とまひろは答えます。
つまりは物語は(著者による)自由性がありますが、生きている実在の人物を思い通りにすることは難しい。
まぁ、確かにそうですね。。
でも、それは”人”が”他人”の場合であって、
”人”が”自分自身”であったら、物語に登場する主人公(つまりは自分自身的な第三者)は
もうちょっと自由性が効くのでは?と思います。
いやいや、自分のことだから委縮してブレーキかかっちゃうよ~と
考えがちなのですが、
物語の主人公は、あくまで”第三者”(的)ですから
潜在意識のブレーキをうまく回避することも可能です、きっと^^。
こんなふうに考えながら、ひんわりと楽しく構想を練ってみます♪