”自分の皮膚”になりうるスーツとは果たして・・・
こちら地方と違ってビジネスパーソンが大勢行き交う東京で、
スーツ的スーツ?なスタイルをしている人が減少してきた傾向が観察できます。
それは、リュックを背負って自転車で、また、地下鉄で颯爽と歩くビジネスパーソンの姿。
テレワークも増えて、人通りは多少、減少したものの、コロナ禍がより一層、
人々の着こなしを変えたともいえます。
日経新聞の文化時評(2020年11月22日付)で
私たちが身にまとう衣服 の定義がとてもカッコよくて印象的でした。
それは、
「スーツはファッションではなく、自分が何者であるかを表す記号」という定義。
いま、いや、少し前くらいから、
スーツは身だしなみという考え方から、
”自分自身を表現しうるデザインをもつファッションはなにか?”
の一つにスーツが含められるようになってきたと思います。
実際、肩こりのひどい私は、左右均等に重さを分担できる、
リュックのようなバッグ(実際に登場していますが)が
今後、より洗練されたデザインになってほしい、という要望と、
リュック的デザインのバッグにも似合うスーツをデザインしてほしい。。。。
という切なる願いから、このブログを書いています。。(^^;
そしてコロナ前後という時代の大きな節目に伴い、
キーワードは、明確に
「共用系ファッション」が今後、主流になるのは間違いない!
つまり、在宅でも、通勤にも使えるファッションスタイルが主流になること。
ある水道会社のひらめきを契機として
作業着なのに、スーツのようにカチッとカッコよく着られるブランドが生まれました。
また、ワークマンでも今月、ワークウェアスーツが販売されます。
脱スーツ化の現象と、限りなくスーツに寄せたワークウェア。
一体、これは何を意味しているのか・・?
その解釈・定義も、同上の文化時評にありました。
それは、スーツは単なる仕事の道具ではなく、
「自分らしさを埋め込む第二の皮膚」ということ。
着たいと思うスーツについて、置かれた立場の人々それぞれの想いがあるからこそ、
多様なスタイルのスーツが受け入れられるのですね!
思えば、黒のスーツをビシッと着込んだ日本人は、
海外の人達から見ると異様な光景と思われている、
という記事を読んだことあります。
ファッションも、「こうであらねばならない」
から解放されると、
一層、自分が自由になれた感覚がします。