”見立て”で時間と空間の奥行を知る!?

前々回のブログ で

人生の半ば過ぎでようやく

勅撰和歌集の大・編集成果物としての百人一首の魅力についてレビューしました。

 

そういえば、先日の日経新聞で

藤原定家が記した古今和歌集の注釈書「顕注密勘」の自筆原本が初めて見つかったというニュースがありましたね!

なんとも絶妙なタイミングだと思います^^

 

何しろ ”左脳”社会の現代。

 

明確に 歌詠み人の知識やイメージ、時代の背景などが分からないと楽しくない!

という思考パターンを 常々 自分自身、反省しています<(_ _)>。

 

表現技法で どこが良かったのか・・ ですが

やはり

「見立て」と「擬人法」ですね!

「見立て」はもともと漢詩特有の技法で、ある事柄を別の事柄になぞらえることで

新しい視点から事実を捉えなおす技法です。

その「見立て」のなかで別の事柄にあたるところを人間になぞらえたものが「擬人化」ですが、

情景をそのまま伝えるよりも 五感を心地よく刺激し、作者の想いに対して想像力が湧きたてられますね~。

 

紅葉や花、嵐や月、山などが擬人化されているのがスタンダード、でしょうか・・・

 

歌のなかで 少し趣が変わっていると私が感じたのは

百人一首6番目 大伴家持(中納言家持)の歌 です。

宮中の橋を天上界の階と見立てることは多いようですが、

橋(階)におりた(下界の)霜の風景を  凛とした冬の夜空につなぐものとして

”かささぎ”という小鳥を歌のはじめにもってきています。

 

”かささぎ”は天の川の七夕伝説で、その翼を連ねて橋を作り

織姫と牽牛が逢えるように取り計らってくれる親切な鳥さんです♪

 

ところで 七夕は夏の風景であるのに

なぜ家持は冬の風景に”かささぎ”を登場させたのか・・・?

 

時間と空間のイメージがふわっと広がる歌ですが、

凛とした厳しい冬の表現も伝わり、なんとも不思議な歌だと思います。

冬に夏の逢瀬の夢を見たのか・・・?  あるいは

夏に冬の光景の夢をみたのか・・・?

 

『 かささぎの 渡せる橋に おく霜の

白きをみれば 夜ぞふけにける 』

 

ちなみに ”かささぎ”の凛とした姿は ブラックとホワイトの明確なコントラストボディ。

夜の暗闇と霜の純白さが そのビジュアルにピッタリ合っていますね~。

和歌はやはり 奥が深いですね!